桜山隕石 場所の調査(1935年7月7日(日)午前9時少し過ぎ 中区下構町1丁目8番地に落下した隕石)
読み方:しもがまえちょう
小林 (2014/06/16) 例会で伊賀様がおっしゃっておいででした、中区下構町1丁目8番地ですが、現在の昭和区下構町1丁目8番地辺りだと思われます。 勤務先の資料では昭和38年当時の住宅地図が一番古く、その当時は「粥川」さんの家で、水川教授宅ではないです。 現在8番地は分筆されているので、コンピューター化される以前の閉鎖謄本でしか確認できません。(明確に知りたい場合は) グーグルで、「武内時雄「名古屋市街全図」昭和16年発行」「武内時雄「名古屋市街全図」昭和5年発行」を検索すると、 下記の地図が検索できます。それをみるとほぼ、現在の位置だと推測できます。 なお、昭和12年10月1日から、昭和区は発足しています。それ以前は中区と南区の一部が昭和区になっています。
木村 (2014/06/14) 大正10年8月22日 御器所村が、名古屋市中区へ編入。 昭和12年10月1日 中区の旧御器所村に当たる地域と、南区の旧弥富村と旧瑞穂村と旧八事村の一部に当たる地域を併せて、昭和区が新設された。 となっておりますので昭和10年当時は中区で間違いないそうです。 以前例会を開いた「昭和生涯学習センター」は石仏一丁目48番地です。 すぐ近くです。 水川氏は八高教授でしたので当時、滝子にあった八高には通勤は楽だったでしょうね。 下構町1丁目8番地をgoogle地図からストリートビューで表示した結果です。
池村 (2014/06/14) 名古屋の古い地図について 昭和5年(1930年)作成の地図がここから見えます。 該当箇所をクリックすると拡大していき、詳しく見えます。 ちょっと探してみました 上部にイロハニホヘト という記号と 左に 一二三四五六 と座標枡番号があります。 「滝子」 ハとニの境目 十一 「桜山」 ロ 十一 路面電車の終点になっています。 「石佛」 」イ 十 「下横町」 ロ 十 枠の右下 これは 下構町の誤記と思われます。 たぶんこれです。 この住所は地名変更はなく、現在もこの住所は存在しています。 地下鉄桜通線:桜山下車、交差点の北東300mほどの場所です。